クラウドファンディングを否定することは、スポーツの価値を下げるのではないか。

この文章には、僕自信のポリシーに反する内容が含まれています。

どうでもいい話なのですが、僕のポリシーとは、いち個人の行動を否定しないということです。

もしかすると嫌悪感や不快感を抱かれる方がいるかもしれませんので、もしもクラウドファンディングについて心から全否定していらっしゃる方は、この先を読まずにお帰りいただいたほうがよろしいかもしれません。

クラウドファンディングという言葉についてご存じない方は、まずはこちらをご覧ください。

誰が最初に手を叩くか。

高校の時の学校祭で、クラスでは目立たないほうから数えたほうが早いぐらい引っ込み思案の同級生Kが、ステージに立ってエレキギターの演奏を披露しました。

Kの演奏はシロウト目に見ても素晴らしく、当時(今も)ハードロックにまったく関心のなかった僕でも、1曲目からもの凄い力でグイグイ引き込まれました。あとからKに訊いたところ、ディープ・パープルとステッペンウルフのコピーだと言っていましたが、誰の曲かは関係なく、掛け値なしに素晴らしい演奏でした。

ところが、初めの1曲目がおそらく終わったであろうタイミングになっても、誰一人Kに拍手を送ろうとはしませんでした。今思うと、普段のクラスでのKの立ち位置と、ステージの上でノリノリでエレキを奏でる彼とのギャップにみんな驚きすぎて固唾を飲んでいたのかもしれません。

こんなすごい演奏を聴いているのに拍手がないことに違和感を抱いた僕は、次の曲が始まるとき、(この曲の終わりには絶対に拍手をしよう)と心に誓いつつ2曲目を聴きました。

Kの地味目の風貌に似つかわしくない異次元レベルの2曲目が終わると、僕は大きめの拍手をしました。それを皮切りにちらほらと拍手が起こりましたが、まだそれはまばらなものでした。そしてKによる曲紹介のMCを挟んで最後の3曲目が始まる瞬間、大きな拍手とともにヒューヒューという大きな歓声が沸き起こり、会場は興奮に包まれました。殺風景な体育館のステージと、KのテンションMAXの演奏との非日常のコントラストに、みんな酔いしれました。

否定する人はどの世界にも必ず存在する。

学校祭を終えてしばらくの間、Kの周りには人が集まるようになりました。
中にはその舞台での活躍をおもしろくないと感じる人もいました。そしてKに対するネガティブな感情を隠さずに表し、クラスのコミュニティの中でその勢力を広げようとしました。

僕は文化祭の日、Kの演奏に心から感激したのでその意思表示として拍手を送りました。しかし、そのネガティブな勢力のパワーは自分のその時の拍手さえも否定しているように感じて、しかもそのパワーに抗うこともせず為すすべなくやり過ごす自分の無力さを痛感して、悲しくなりました。

その後Kはいままで通りの内気なKのまま出来るかぎり目立たないように過ごし、そのうち次第にネガティブな声も聞こえてこなくなりました。

 

スポーツにおけるクラウドファンディングの否定とは

さて、話は変わって本題に入ります。

スポーツにおけるクラウドファンディングで代表的なのは、活動資金を寄付してほしいというものだと思います。そして、否定されているのはほとんどが、この寄付型クラウドファンディングに対するものです。中にはリターンとしてグッズを提供するなど購入型のクラウドファンディングもありますが、活動資金を支援してもらうという目的には変わりありません。

なぜ否定されるのか。

スポーツにおけるクラウドファンディングを否定する人の意見の多くは、好きなことをしているんだから自分の力でなんとかせいというものです。次に多いのは、大した価値もないくせに金をくれなどと言うなというものでしょう。

たしかにその通りかもしれません。ですが・・・

それはあらゆるスポーツを全否定する論理ではないですか?

ほとんどすべての競技スポーツ団体あるいは個人は、何らかのサポートや支援を受けているわけです。
歴史のある人気スポーツで、広告価値が高いがゆえに高額のスポンサーがつくプロ野球やJリーグであっても、お金の出どころがたまたま大企業や大金持ちだったというだけで、支援を受けていることには変わりありません。好きなことを続けたいなら人の金を頼るなという論理はすなわち、続けたいならまずは永久に稼ぎ続けられるビジネスモデルを確立しろというのと同じことです。ことスポーツの世界に限って言えば、あまりに感情的で短絡的であると言わざるをえません。

価値はお金を出す人が決めるもの。

クラウドファンディングに対してお金を出す価値があるかないかを判断するのは、支援者に許される自由ではないでしょうか。価値基準は人によってさまざま。価値がないくせにと言うのは、前に支援したことがあるけれどその支援は無駄だったと感じた人が言うのならまだ分かりますが、そうでない人は何を根拠に言うのでしょうか。

スポーツの価値を下げているのは、否定する声なのではないか。

肯定的な人、否定する人、中立の立場の人の三者が存在するとき、中立の人はネガティブなほうに引っ張られる傾向があるそうです。ネガティブは伝染するのです。
たしかに、胡散臭い団体が資金調達を目論んでいる場合も、もちろんあるでしょう。ですが、クラウドファンディングを根拠なく十把ひとからげに否定してしまうのは、支援している人の支援するという行為自体を否定することにつながりはしないでしょうか。つまり、スポーツの価値そのものを下げる行為なのではないかと僕は感じています。

 

根拠なく拍手を否定するネガティブ勢力にはもう屈したくない。

クラウドファンディングは、誰もが声を上げることができるようになったという意味で、とても革新的な仕組みです。

声をあげた人を、ちゃんと見もせずにハナから全否定する行為は、高校の時にKを否定したネガティブ勢力とシンクロします。

僕は以前クラウドファンディングでコケているので偉そうには言えませんが、声を上げられる人をリスペクトしているし、価値があると感じたら協力したいという気持ちでいます。

こういう意見にはおそらく賛否両論があるでしょう。
反対のご意見も、ぜひともお聞かせ願いたいと思っています。

 

今日も最後までお読みいただいてありがとうございました。



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