京都のフットサル界で僕がやろうとしていたこと / 第2章 想像よりも若手が育たない。

2017/02/01

チームの数は増えた。しかし、若手は思っていた以上に育たなかった。

2005年頃からウェブサイトを充実させてきたことと、現理事の佐野さんのご尽力のおかげで、京都府の社会人チームの数は格段に増えた。2002年頃と比べると、2010年には5倍以上の40チームにまで増えた。まずはチーム数すなわちフットサル選手登録数を増やすという意味では、京都は年々、成果を上げてきたといえる。

これだけのチーム数があれば、中には若くて技術もあって活きの良いチームがどんどん出てきて、トントン拍子に関西リーグまで駆け上がってくれるのではないかと、僕は期待していた。2007年にリンドバロッサが圧倒的な強さで関西に昇格したように、だ。

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確かに、素晴らしい素質を持った若い選手はたくさんいて、多くの選手が良いプレーを見せてくれた。が、僕の期待には遠く及ばなかった。もっと数多くの選手やチームが飛躍して、Fリーグや地域リーグ、全国の舞台で活躍していけるはずだ。それができないということは、何かが間違っているはずだと。

若手成長のヒントは、躍進したチーム、新興勢力となったチームにある。

トップリーグへの駆け上がり方が鮮烈だったチーム、とりわけ関西でいうと古くは高槻松原(現ヴァクサ高槻)やリンドバロッサ、フエルテ大阪など。関東ではボツワナ(現フウガドールすみだ)など、チームの成り立ちや雰囲気づくりなどを見ていくと、そこにはある共通点が存在する。それは、出身校やサッカークラブなど、出身が同じ者や同年代の仲間内でチームを結成し、真摯にフットサルに取り組んできた、ということだ。元々、フュンフバインもそうだった。

主力の多くが同い年であるということが、特に重要であると、僕は思う。主力が1979年生まれの高槻、1980年生まれのフュンフ、1982年生まれのボツワナ、1983年生まれのリンバロ、1986年生まれのフエルテなど。たとえ練習中に真剣なぶつかり合いがあったとしても、メンタル的に色々とうまくいく。要するに、気心が知れているのだ。たとえピッチ上で喧嘩をしても、ピッチを離れればフランクに話せたりする。

そういう面で見ると、若手が既存チームに入ってくるというスタイルのチームでその若手がブレイクするのはとても難しい。例えば、経験はそれなりにあるが技術やスピードはイマイチというベテランが若手に怒鳴る姿をときどき目にするが、ベテラン選手に対するリスペクトを若手が持ち合わせていない場合は、たいてい遺恨が残る。(ちょっと自分より先に生まれただけで、ちょっと先にフットサルを始めたというだけで、何故そんな言い方をされなければならないのか。)などと思い始めたらもう収まりはつかない。(なんであんな奴に言われなあかんねん)と。ベテランからすれば、(あいつは全然先輩の言うことを聞かない、生意気だ。)となる。

そうなるともう、練習が楽しくない。
どんなに好きなフットサルでも、楽しくなければ続かない。
選手同士の気心が知れているということは、チームの成功への近道なのである。

前回:【第1章 テトリスのようなフットサル。】へ

次回:【第3章 確信:京都府選抜を率いて。】につづく

 



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