京都のフットサル界で僕がやろうとしていたこと / 第3章 確信:京都府選抜を率いて。

2017/02/01

2009年から2012年の4シーズン、僕は京都府フットサル社会人選抜の監督を務めた。

結果から言うと、2度の全国大会出場(うち2010年に優勝)と2度の関西大会敗退だったが、そのメンバー選出には、僕なりのこだわりがあった。
目的は、全国優勝のタイトルを取ることと次代を担う若手の向上心をくすぐることだった。

選抜はU-23の大会になるという噂。

「来年度から選抜大会は23歳以下の大会になるかもしれない。」

と、ある上の方から直接そんな話を聞いたのは、2008年の選抜大会後のことだった。

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なるほどな。と、僕は思った。

Fリーグが2007年に開幕して、地域リーグ、とりわけFリーグに主力のほとんどを取られた関東リーグは選手層がガラリと変わったが、まだ逸材と呼ばれる選手は、それぞれの地域に残っていた。
フットサル日本代表は海外組とFリーグの選手のみで構成され、地域リーグの選手が代表入りする望みは、ほぼ失われた。中央の思惑は、選抜大会をU-23にして、とりこぼした次世代のタレント発掘の場にしたいということだったのだろうと思う。大会にはFのスカウトや、代表監督が視察に来るであろうことが予測できた。

しかし実際は、2009年も2010年もその後も、選抜大会には年齢制限の適用はされなかった。
毎年、「来年からはU-23になる。」と言われながらも、フルの選抜として大会は続いた。
フルの選抜はそのままにしておいて、若い選手の発掘は、U-23のインカレ、U-18、U-15のそれぞれの選手権で行えばいいじゃないか、ということに結局は収まったのだろう。

思い込みかもしれないが、これに対する僕の意見と決断は次の通りだった。
そんな中途半端な行き当たりばったりの施策ではいけない。中央はW杯を基準に長期的な展望をもって明確な目的と方針を各地域、都道府県にもに伝えるべきだ。それなら京都は全国選抜のタイトルを取ってから(これは完全に自己中)、日本連盟の決定いかんにかかわらず、京都府選抜をU-23にすることに決める、と。

その後、僕はフットサル界から逃げるようにして消えることになるのだが、当時は偉そうにそんなことを考えていた。

そしてその思惑は、2010年に京都府選抜が全国優勝を成し遂げて、現実のものとなった。

目的は、若い選手の意識を変えること。

自分の可能性がどれほど大きいかを知らず、フットサルの本当の面白さを知らずに競技フットサルを諦めてしまう若い選手は、とても多い。フットサル選手に限らず、若い人は、体力・気力が充実している今この時間、この瞬間が、どれほど大切なものなのかを、知らない。

いくら説教しても、いくら説明しても、これらは伝えられるものではない。

強い相手と全力で戦ってワクワクしたり、敗れて悔しい想いをしたり、絶望したり、勝って喜んだり、褒められたり、注目されたり、応援されたり、様々なことを経験することでようやく、知ることができる。

そんな経験を若者たちにさせて、自分たちの可能性を感じて、努力させるきっかけにするために、2011年から、全国選抜大会に向けたU-23京都府選抜を結成した。

若い選手だけのチームのポテンシャルは、想像以上。

U-23選抜選考会には、予想以上にたくさんの若者が集まった。僕は他の有名な監督のように、緻密で詳しいフットサルの戦術や知識など、持ち合わせていない。あたかも知識を持っている風に見せるのは、自分でも上手かったと思う。戦術を教えられるかどうかなんて、そんなことはどうだっていい。選考会の一番の目的は、若者をその気にさせることだった。最近でいうところの、モチベーターになれるかどうかである。僕は積極的に、「自分なんていう名前?どこのチーム?出身の高校は?」と、出来る限り多くの選手に注目するようにした。

数回の選考会を経て最終的に選ばれたU-23京都府選抜は、未熟すぎてお世辞にも強いとは言い難かったが、2011年も2012年も、本番の関西大会ではフル代表の歴戦の猛者で構成された関西の他府県選抜と、十分すぎるほど戦えていた。

監督からの指示は、シンプルそのもの。
40分間常にフルコートプレス。
1対1は負けるな。負けても味方のミスはカバーしろ。攻撃は思うようにやれと。とにかくチャレンジしろと。走れなくなったらベンチに合図しろ。交代の時とゴールを決めた瞬間だけは全力のダッシュでベンチに戻って来いと。

経験の差で敗れはしたものの、若い彼らは、僕の想像以上の速さと無尽蔵のスタミナを見せてくれた。

2011年のメンバーも、2012年のメンバーも、もしこのチームで切磋琢磨して数年戦い続けたら、2009年の選手権で優勝したフウガのように、名古屋オーシャンズと戦えるぐらいになれるんじゃないかと思えるほどワクワクするチームだった。

今から4、5年前、この高揚感、期待感から、僕の考えはひとつの結論に至った。
それぞれの年代で同年代の選手がひとつのチームとして活動して育っていくということが、これからの日本フットサル界全体の競技レベルを上げるうえでとても重要なことなのではないかと。

ひとつ言えるのは、4年間のいずれの京都府選抜も、最高のチームだったということである。

前回:【第2章 想像よりも若手が育たない。】へ

次回:【第4章 ずっと公言できずにいたこと。】につづく

 

今日も最後までお読みいただいてありがとうございました。



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