ヘスス・カンデラス(Jesús Candelas)氏の哲学を綴ってくださっている在原正明さんのツイートを、いくつかずつまとめています。転載させていただくことをご快諾いただいた在原さんに大変感謝しております。
カンデラスの言葉
「リーダーシップとは人の行動に影響を与えることができることである。表に出て、前に出て、目立つ場所でメシアとして振舞うことではない。ある選手に一冊の本を渡すだけのことであってもそこにはリーダーシップがある」
— 在原正明/Masaaki Arihara (@ARI19811212) 2017年12月18日
この言葉には、勇気を与えられました。
仮にこのブログがきっかけで誰かの行動が変わったとしたら、そこにはリーダーシップがあると言われている気がします。自分勝手な解釈ですが。
自分は監督時代、プレーで示すタイプのリーダーではもちろんなかったし、自分で戦術を生み出したり、選手の心に響く言葉をかけられるわけではなかったので、選手たちの前ではほぼすべて他人の受け売りで話したりしていました。そこにもまた、リーダーシップがあると言われている気もします。
そもそも世の中のほとんどのことは先人の知恵から生まれているわけで、その意味では受け売りのまったく無い人など存在しないわけです。
「選手とコミュニケーションを取るときには3つのレベルで考えるんだ。ひとりの人間として話すときは価値観の話を。スポーツマンとして話すときは努力の話を、プレーヤーとして話すときは戦略・戦術の話を」
— 在原正明/Masaaki Arihara (@ARI19811212) 2017年12月18日
コミュニケーションの観点から、自分のライフスタイル、ふるまい、行動原理を定義しているとも言えます。価値観、努力、戦略など、あらゆる話が論理的にできるように、考えながら行動する癖が必然的につくでしょう。何歳になっても成長できるのは、そのあたりに秘訣があるのかもしれませんね。
「監督にやマネージャーには組織の一貫性を保つために3つの手段が与えられている。それは個人と面談すること、説明を行うこと、批判することだ。」
— 在原正明/Masaaki Arihara (@ARI19811212) 2017年12月18日
この言葉は深いですよ。
監督やマネージャーは、この3つの手段を、いつでも(ある意味では制度的に)行使することができるのです。
日本のフットサル界のどうしようもないところは、三つ目の、「批判すること」という手段がタブーとされているところです。サッカー界でも同様ですね。「自チームの選手をつかまえて批判するなんてこの監督は人としてどうかしてる」という具合に、日本では糾弾される側になってしまう。
日本では「批判」には「愛情が無い」というニュアンスがあります。欠点を欠点として言うことは間違いではないけれど、もう少しオブラートに包めということなんでしょうが、それが良いのか悪いのか。
僕は、もっと批判が必要だと感じています。
「最も辛い経験は信念に反する戦いで勝利しタイトルを得た時に虚しさを感じたことだ。その試合は守備だけで勝利した。攻撃面でわたしはチームを全く助けることができなかった。攻撃も守備の両方で勝者に値する戦い方をして得た勝利でなければ虚しさが残るだけということを経験し、学んだ」
— 在原正明/Masaaki Arihara (@ARI19811212) 2017年12月16日
勝利の先にあるもの。
たとえチャンピオンになったとしても、信念に背く戦い方で得たタイトルであれば、勝者ではあっても王者ではないと。
例えば身長2mの選手をピヴォの位置に置いて、攻撃はその選手の頭をひたすらに狙う。守備は自陣深く亀のように守る。そんなチームが優勝したとして、あなたならどう感じますか?
この話題は、今までもこれからも、賛否両論がついて回るでしょう。
僕はそんなフットサルを、誇りには思いません。
確かに、勝負に徹して信念に背いた戦略をとることは、どんなチームにもあるでしょう。いつでも横綱相撲を取れるほどの実力があればいいですが、そうもいかないことも多いでしょう。
大切なのは、選手もスタッフも、楽しめているかどうかだと思います。
甘いかもしれませんが、僕はそう思います。
タイトルを取っても、その後もフットサルは続いていくわけですから。
今日も最後までお読みいただいてありがとうございました。
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